年を取ってく〜


こんにちは、
「もう今年はヒトの悪口言わないもん!」と宣言して以来、ぴったりと書くことが無くなった松○です。
今までがいかに、僕の脳みそが他人への愚痴で占められていたかがわかるでしょう。でもそんな僕も、日々浄化中です。





さぁて、今週のお題は「20歳」です。
実際に20歳を超えるまで、「20歳」という言葉には様々なイメージ(幻想?)を抱いておりました。
中学生であった僕からすると20歳の従兄弟はとても大人に見えて、「自分はまだまだ子供なのに、なんであいつはあんなにしっかりしてるんだろう」と感じましたし、


高校生であった僕からすると、「20歳」という言葉を、「あと数年で20歳だけど、まだまだ全然大人になれてないよなぁ」と、近くて遠い存在として見ていました。




そしていざ、「20歳」を超えてみても
「あれ?僕今何歳だっけ?19…いや21歳か!」と、いつまでも20歳を超えた気がしません。
つまり僕の中で「20歳」はオトナを意味してて、まだオトナの実感が無い自分は、「20歳」である気がしません。言ってる事が意味不明ですね。






他の人にもある感覚かは分かりませんけれども、
僕は這いつくばって生きてきた21年間の友人を、時代別に区切って意識している感覚があります。




小学時代の友達
中学時代の友達
高校時代の友達
大学時代の友達と。





そしてその人たちと一緒にいた時の事を思い出すと、時代時代でカラーが違うと言いますか、それぞれ独自の"匂い"を感じます。


一体なぜ自分がこんな話をしているのかと言いますと
最近、内定先企業の同期たちと一緒に遊ぶ機会がちょくちょくありまして、その写真がFacebookにUPされましてね。
高校時代の友達と大学時代の友達の写真が写っているページに、「社会人時代の友達」が新入してきた事に、なんだか急に変な異物感を感じてしまいました。


そして僕の大学時代の友達からも、「なんだか変な感じだね」と言われました。






もちろん、「新しい同期の友達が嫌だ」とか「なんで俺を載せるんだよバカ野郎」と思ってる訳では無いですよ!
同期の方々にタグ貼られるのはとてもうれしいし、心地いいものなんですよ。
しかしなんでしょう、このもやもやは。





このもやもやは、自分の友達を一つの画面で管理していることの違和感なのか
「高校〜大学からの友達に、同期の友達を見られるかもしれない」という緊張感なのか
はたまた、自分の社会人時代の幕開けに対する期待の表れなのか。
新しい時代の友達が現れ、それを大学時代の友達が見るという構図に、出会いと別れを無意識のうちに感じ取ったのか。



とにかく、妙にウェットな気分になってしまいます。お陰でなんだか湿っぽい日記になっちゃいましたね笑 



なんで20歳という華やかなキーワードでこんなに湿っぽくなるんだ 笑
僕で湿っぽいのは耳クソだけで勘弁してもらいたいわ










同期のメンバーで高尾山に登った時の写真です!

集合写真!(一人写ってないけど…)



登山の達人自家製のホットミルクティーを試飲中。









あと2週間で勤務地が分かる〜。ドキドキするわ〜。