おっさんK
むかーしむかし、僕には家庭教師というわけではないけれども、個人的によく面倒をみてくれるオッサンがいました。
まぁ休みの日にその人の家に行って過ごしていた、とでも考えてください。お金を払っていたわけでもないし、ただ単に家に行っていただけです。
そのオッサン (以下K)は、昔母の高校時代の担任の先生だったらしく
【母とKが再会】→【なに、君には小4の息子がいるのかね】→【どれ、ここは一つ、彼を僕に預けてみないか】
というワケのワカラン展開で、母が僕をKに預けることになったんですね。
でもね、別に"預ける"っていっても勉強するわけじゃなかったんだよ
ただただKの家に行って、Kの畑の開墾を手伝ったり、裏の川でコイやカメを捕まえたり、キャッチボールしたり、相撲して遊んだり。
たまにする勉強?らしき事といったら
王貞治の自伝のようなものを読まされたくらいか。
そもそもK自体、そうとう頭のおかし…いや変わった人でして
「よーし拓也君、この雑草ボーボーの私の庭があるね、ここにウサギが2匹隠れている、というかわが家から脱走した。そこで君がぜひ捕まえてくれないかい。さぁよーいドン。」
みたいな事を言って、僕にウサギ探しをさせたり。
K 「よーし拓也君、僕のマイペットに餌をやってきてくれないかい」
僕 「鳥にですか?猫にですか?ウサギにですか?犬にですか?」
(ちなみに猫の名前はライオン、犬の名前はタイガー、鳥は後日逃亡していなくなりました、ウサギも逃亡しました。)
K 「うーんどれも違うね、風呂場に行けばわかると思うよ」
そして風呂場に行ってみたらね、いやがったのよスッポン。しかも3匹。
僕 「すげー!スッポンやん! 餌ってカメのエサを使うんですか?」
K 「何も知らないんだね君は、スッポンの餌は冷凍室に入ってるよ」
恐る恐る冷凍室を開けてみるとね、巨大な肉塊しかないのね。つまりこれをブツ切りにしてスッポンに与えろと言うのだ。
僕 「…スッポンとか初めて見たし…名前はなんていうが?」
K 「さち子だよ」
僕 「へぇ…(キモイ名前だな) じゃあ他の二匹は?」
K 「全部さち子だよ」
僕 「なるほど…(!!!)」
何度も言います、K先生はもう50歳近くの立派な大人ですよ。
立派な大学を出られて、高知のとある私立女子校の教師までしてらっしゃった方ですよ。だから決して頭がおかしいわけではありません。
見た目は中肉中背、ただ完全な仙人顔でしたけれどもね。
ふう…
なぜ急に僕がそんなK先生の話をするかというとですね。
今日、母のもとにK先生が会いに来たと母から連絡がありました。
K先生は昔からまったく変わっておらず、仙人風な風貌はより磨きがかかっていたとのことでした。
一説では『Kは蒸発した』と聞いていたので、僕はその点では安心したんですがね。
僕がK先生と会わなくなってから10年近くたちますが、Kは未だに、母にこう尋ねるそうです。
「…そうかハッハハ。 ところで拓也は今なにをしてるんだい?」
K先生、僕はいま東京で干からびてます。カッピカピ。
しかもK先生が、当時の僕の作文と国語のテストを持ってきたそうです。
作文の題名は『僕は父が嫌いです』という題名らしい。もう反抗期まるだしの僕。
母はこれを父に見せると喜んでいました、余計なもん持ってくんなよな、K。
ちなみに彼の猫のライオンちゃんは、ミャンマーへ旅に出かけた時に現地に忘れて置いてきたそうです。
まぁ動物に嫌われる彼のことですから逃げられたんでしょうけどね、ザマミロ(^ω^)。
そんなおっさんKの懐かしい思い出話。
母からの電話で思い出したので、書かせていただきました。
「拓也はもう18歳か…あぁ、僕が2度目の恋をしていた歳だね」
妙にロマンティックな一面もあるようです。